~住吉大社周辺地区~

大阪市の南西部に位置する面積約36ha、人口約5000人の地区。古くから海上と陸上の交通の要衝として開け、旧街道を中心として、住吉大社をはじめとする社寺や地蔵堂、町家や土蔵が建ち並ぶ文化性の高いまちなみを育んできた地域です。  特に、住吉大社境内の豊かな樹林、まちかどの古木や鉢植えなどが、四季折々の風情を感じさせるまちなみを形成しています。

住吉大社

住吉大社

住吉大社は別名「住吉大神宮」と呼ばれ、また、地元では親しみを込めて「すみよっさん」と呼ばれています。名神大社、摂津国一宮、二十二社の一社であり、また全国約2,300社ある住吉神社の総本社であり、博多の住吉神社、下関の住吉神社の二社とともに日本三大住吉のうちの一社であります。航海の神・祓の神・歌の神として古くから崇敬されている大社で、本殿四棟は桧皮葺・切妻造りの「住吉造」と称され、神社建築史上古い様式の一つです。現存のものは文化7年(1810年)に造営され、国宝に指定されています。

おもかる石

おもかる石

おもかる石は大歳神社にありパワースポットとして有名です。 おもかる石の取り扱いとして、先ず、大歳社に参拝の後、おいとぼし社の祠の前にならぶおもかる石を一度持ち上げて重さを感じ取ってください。そして、願掛けをしたのち、石を再度持ち上げ、軽く感じれば「可」、重く感じれば「否」であると伝えられています。 参拝の際にはぜひ、この神石を大切に取り扱い、願掛けをし、そのご利益を頂いて下さい。

住吉の自然

住吉の自然

四季を彩るまち「住吉」
住吉では住吉大社をはじめ多くの社寺林や、塀越しに「四季を演出するように咲く樹種」や「花や香りを楽しむ樹種」そして杜若や車返しの桜(しだれ桜)、ウツギ(卯の花)といった「謂われのある樹種」を中心にいろいろな植栽をのぞかせています。このように自然の恩恵を進んでうける住吉では人だけではなく昆虫や野鳥などさまざまな生き物が集まり、生息しています。住吉では町全体の努力にくわえ、さまざまな自然や動物に手を借りまちなみに彩りと潤いを表現しています。

チンチン電車

チンチン電車

このチンチン電車は天王寺-堺間を繋ぐ大阪で唯一残る路面電車です。 平成19年度に協議会が行ったまちなみ推奨建物アンケートの「住吉らしくてよいと感じるものは何ですか。」という質問の回答として一位をとるほど住吉には欠かせないものです。街を歩くのとはまた違い路面電車に乗り住吉の街巡りをするのもまた趣深いものであると思います。ぜひチンチン電車を使った住吉の街歩きを体験して下さい。

一二三公園

一二三公園

協議会では一二三公園の修景整備に当たって勉強会を開催し、住吉大社周辺地区にふさわしい公園になるように、地域の皆さんと一緒に考えました。いろいろな意見や質問が出され、それを参考に、平成13年度に大阪市HOPEゾーン事業の施設整備として、公園が整備されました。

住吉ギャラリー

住吉ギャラリー

平成17年度に大和棟形式の平屋建て町家が大阪市HOPEゾーン事業により、集会所施設すみよし村ぎゃらりーとして整備されました。「住吉の千匹猿」や「御祓猿(おはらいざる)」など古くから住吉に親しみのあるものや住吉の歴史と文化をまとめたパネルが展示されています。

熊野街道

熊野街道

熊野街道は熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)への参詣道として利用された街道です。平安時代から鎌倉時代にかけて、たくさんの王侯貴族の往来でにぎわい さらに、江戸時代には庶民の信仰も加わり、「蟻の熊野詣」と言われるようになりました。 また、別名として小栗判官と照手姫がこの街道を通って熊野詣をしたことが浄瑠璃や説教節で有名になったために呼ばれるようになった「小栗街道」や他に「御車街道」と呼ばれています。

浅沢社

浅沢社

住吉大社の境外末社にあたり、古代浅沢小野(浅沢沼)のあったところです。浅沢社は住吉大社の「初辰さん」の参拝ルートであり、弁天さんといわれ、女神として、また芸能・美容の神として親しまれており、住吉に参拝する女性は、必ず訪れる習わしがあります。また、かつてこのあたりの浅沢は京の大沢、奈良の猿沢と並んで三沢と呼ばれ、日本の現存する最古の和歌集「万葉集」にも詠まれた杜若(かきつばた)の名所でした。この杜若は、住吉区のマスコットキャラクターの「すみちゃん」のモチーフにもなっています。敷地内には大阪市HOPEゾーン事業の施設整備として顕彰板を設置しています。

一運寺

一運寺

浄土宗一運寺は最澄、空海、法然も説法したといわれる住吉の名刹であり、推古21年(613年)に聖徳太子がある夜、夢の中で西方の地より天に昇る光を見たと言われています。白光に驚いていると「住吉の地こそ実に過去七佛転法論の処」と言う声があって目覚められたそうです。その後、住吉に七堂伽藍を建立し、磯長山転法論寺と名付けられたのが一運寺の初めとされ、後に常光明寺と改められたと伝えられています。また境内には大阪商人「天野屋利兵衛」の子孫が建てたとされる赤穂浪士の主税の親子「大石良雄」と「寺坂吉右衛門」のお墓があります。山門付近には大阪市HOPEゾーン事業の施設整備として、コミュニティ広場(飛鳥への小径)を整備しています。

磯歯津路

磯歯津路

磯歯津路(しはつみち)は雄略天皇の時代5世紀後半に住吉津近くにあったとされ日本書紀によると、雄略天皇の時代、身狭村主青(むさのすぐりあお)が呉国の遣い、機織の技術者とともに住吉津(すみえのつ)にやってき、その一行が奈良、古代の宮のある場所へ向かう時に作られたのがこの「磯歯津路」とされまた呉の国から渡来した織姫たちが通ったとされているところから「古代の国際街道(シルクロード)」と呼ばれました。磯歯津路はまだ発掘で見つかっていないことから”まぼろしの街道”とも呼ばれています。

丸山大明神

丸山大明神

丸山大明神には祭神として「住吉仲皇子(すみえのなかつみこ‐仁徳天皇の息子で17代履中天皇の弟)」が祀られています。住吉仲皇子は、難波宮を焼いて三日天下を取ったといわれています。しかし、18代反正天皇の刺客に殺され、墨江の沼地に捨てられました。それを祀った地が円塚(円山)で、その後跡地に丸山大明神が祀られたといわれています。住吉仲皇子は天皇に叛いたとされ、公式の墓がないのですが、緑の深い住吉大社に近い円塚で地域の人たちに、守られ今も静かに眠っています。前部分の敷地には大阪市HOPEゾーン事業の施設整備としてコミュニティ広場(丸山の庭)が整備されました。